これは単なるエンターテインメントではない。日本電信電話(NTT)が、その存在意義をかけて世界に示す未来のプロトタイプだ。かつて「電電公社」として日本の通信インフラを支え、民営化後は「国民の財産」として安定を期待されてきた巨大企業が、今、非連続な変革の渦中にいる。その原動力は、IOWNという革新的技術だけではない。世界に34万人を超える従業員一人ひとりの「個」の力を解放し、結集しようとする、壮大な人的資本経営への挑戦がある。
民営化から40年。安定という名の重力から解き放たれ、再び成長軌道を描くために、この「巨象」は何を捨て、何を得ようとしているのか。本稿では、NTTが掲げる理念、その核心であるESG経営とIOWN構想、そして組織の隅々にまで変革のエネルギーを浸透させようとする人的資本経営の三位一体の戦略を深掘りし、日本を代表する巨大企業が描くサステナブルな未来への航路を解き明かす。
原点回帰と未来への飛躍ー40年の時を経て再定義された「NTTの魂」
企業の変革は、その原点を見つめ直すことから始まる。NTTにとって、その原点は1985年の民営化にある。戦後復興期、「すぐにつながる電話」という国民の悲願に応えるべく設立された日本電信電話公社から、競争と顧客志向の荒波へと漕ぎ出した瞬間だ。当時の真藤恒社長は、民営化初日の挨拶でこう語った。「一事業は人なりーと申します。企業の品質は、事業の中の人間であります。」。この言葉は、技術やインフラだけでなく、それを動かす「人」こそが企業の価値の源泉であるという、NTTの揺るぎない信念の表明だった。
この民営化の精神は、発足当初に掲げられたコーポレートアイデンティティ(CI)にも凝縮されている。「コミュニケーションを通じ、人間社会の発展と人々の豊かな暮らしのお役にたつため、お客さまを発想の原点とし、常に未来を考えダイナミックに自己革新を続け、真に世の中の役に立つヒューマンな企業をめざす」。顧客起点、自己革新、社会貢献ーこれらのキーワードは、40年近く経った今も色褪せることなく、NTTグループの活動の根幹をなしている。
しかし、時代は大きく変わった。かつての電話事業は営業収益の15%にまで縮小し、事業領域は総合ICT、グローバル・ソリューション、不動産・エネルギーへと大きく広がった。連結子会社は992社を数え、従業員の4割以上が海外で働くグローバル企業へと変貌した。気候変動、地政学リスク、そして生成AIの爆発的な普及。事業環境の複雑性は増し、社会が企業に求める役割もまた、かつてないほど多岐にわたっている。
この大きな変化のうねりの中で、NTTは自らの「魂」を再確認する必要に迫られた。民営化40周年という節目を目前にした2025年5月、NTTは新たなグループの羅針盤として「NTT Group's Core & Values」を制定した。
NTT Group's Core(私たちのありたい姿):
人々の豊かな暮らしと地球の未来に貢献するため、お客さまを発想の原点とし、常に自己革新を続け、世の中にダイナミックな変革をもたらす企業グループをめざす。
NTT Group's Values(私たちの価値観):
Act with Integrity, Build Trust, Create Connections (誠実に行動し、信頼を築き、つながりを創造する)
一見すると、民営化当初のCIと大きく変わらないように見えるかもしれない。しかし、その策定プロセスと込められた意味合いは、現代のNTTが直面する課題と未来への意志を色濃く反映している。この新たな理念は、トップダウンで与えられたものではない。国内外のグループ会社から集まった約60人の社員がワーキンググループを形成し、ボトムアップの議論を重ねて練り上げられたのだ。多様なバックグラウンドを持つ社員たちが、「自分たちの会社はどうあるべきか」を真摯に問い直し、紡ぎ出した言葉である。
特筆すべきは、「地球の未来に貢献する」という一文が明確に加わったことだ。これは、2021年11月に制定された「NTTグループサステナビリティ憲章」の精神を、グループ全体の存在意義の中心に据えるという強い意志の表れである。そして、Valuesとして掲げられた「Connect」は、単なる通信ネットワークの接続を超え、「人・モノ・技術、さらには生命・自然・宇宙などあらゆるものを有機的につなぎ、新たな価値を創造する」という、より広範で根源的な役割を志向している。
この理念の再定義と並行して、NTTは自らのアイデンティティを視覚的にも刷新した。2025年7月1日、商号を長年親しまれてきた通称「NTT」を冠した「NTT株式会社」へと変更し、コーポレートロゴも刷新した。これは、単なる名称変更ではない。国内外992社、34万人の多様な集合体を「One NTT」として束ね、グローバル市場で戦うという決意表明だ。世界約200の国・地域で商標を出願・登録し、ブランド価値の保護にも余念がない。
民営化の原点を守りつつ、サステナビリティとグローバルという新たな軸を明確に打ち出した「NTT Group's Core & Values」。それは、過去への敬意と未来への覚悟が込められた、NTTの新たな出航宣言なのである。
IOWNという非連続な挑戦ーサステナビリティ経営の核心
NTTの未来戦略を語る上で、避けては通れないのが「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)」構想だ。2019年に発表されたこの構想は、単なる次世代通信技術ではない。それは、現代のデジタル社会が抱える根源的な課題、すなわち「電力消費の爆発的増大」に対するNTTの回答であり、サステナビリティ経営の核心をなす非連続な挑戦である。
なぜ今、IOWNなのかーAI社会のジレンマ
生成AIの登場により、世界は新たな産業革命の入り口に立っている。しかし、その進化は膨大なエネルギーを喰らう。数百億のパラメータを持つ大規模AIを一つ構築するには、1時間あたり1,000メガワット時を超える電力が必要とされる。これは原子力発電所1基が1時間で発電する量に匹敵する。このままAIの利用が拡大すれば、世界の電力消費量は指数関数的に増加し、気候変動への取り組みを根底から覆しかねない。
このジレンマの根源は、現代のコンピュータ・アーキテクチャにある。プロセッサ内部のデータ伝送は、今もなお「電気」に依存している。電気配線による伝送は、距離が伸びるほど、また速度が上がるほど、エネルギーロスが飛躍的に増大する。例えば、回路基板上で30cmの距離をデータを伝送するのに、電気配線では160mWの電力を消費する。これが、データセンターの電力消費を押し上げる主因となっている。
NTTグループ自身も、日本の総電力消費量の約1%を消費する巨大なエネルギー消費者であり、この課題の当事者だ。2040年度のカーボンニュートラル達成という野心的な目標を掲げるNTTにとって、電力効率の抜本的な改善は避けて通れない経営課題なのである。
光が拓く未来ーIOWNの核心技術「光電融合」
IOWNは、この課題を「光」で解決しようとするパラダイムシフトだ。その核心は、プロセッサ内の電気信号のやり取りを、可能な限り光信号に置き換える「光電融合技術」にある。光ファイバー通信がそうであったように、光によるデータ伝送は、長距離でもエネルギーロスが極めて少ない。先ほどの例で言えば、同じ30cmの伝送でも、光通信ならば消費電力はわずか20mWで済む。実に8分の1のエネルギー効率だ。
NTTは、この光電融合技術を段階的に進化させるロードマップを描いている。
- IOWN 1.0(2023年〜): ネットワーク全体を光で結ぶ「オールフォトニクス・ネットワーク(APN)」を商用化。2023年3月にサービスを開始し、従来のネットワークに比べ遅延を200分の1に削減、消費電力も8分の1に抑えることに成功した。
- IOWN 2.0(2025年〜): 大阪・関西万博で披露された、コンピュータのボード間を光で接続する技術。光エンジン「PEC-2」を搭載した光電融合スイッチは、消費電力を従来の8分の1に削減する。2026年度には、通信容量を万博版の2倍となる102.4テラビット/秒に高めた商用版の提供を目指す。
- IOWN 3.0(2028年頃〜): チップ間の接続までを光化。チップから直接光信号で情報を伝送することで、さらなる低消費電力化を実現する。
- IOWN 4.0(2032年頃〜): チップ内部の配線までも光化する最終段階。これにより、最終的に電力消費を従来の100分の1に削減するという壮大な目標を掲げる。
このロードマップを支えるのが、NTTが長年にわたり蓄積してきた光技術だ。1966年に始まった光ファイバー研究の歴史は、半世紀以上の時を経てIOWN構想として結実した。その研究開発のDNAには、「知の泉を汲んで実用化により世に恵を具体的に提供しよう」という、1950年に初代研究所長・吉田五郎が掲げた理念が脈々と受け継がれている。2023年6月には、光電融合デバイスの事業化を加速するため「NTTイノベーティブデバイス株式会社」を設立。すでに100件以上の関連特許を出願し、その半数が権利化されている。
IOWNが社会を実装するーエンターテインメントから医療、防災まで
IOWNがもたらすのは、単なる省エネ効果だけではない。「大容量・高品質」「低遅延・ゆらぎゼロ」という特性は、社会のあらゆるシーンを根底から変えるポテンシャルを秘めている。
大阪・関西万博では、その可能性が鮮やかに示された。Perfumeのパフォーマンスに加え、歌舞伎俳優・中村獅童とバーチャルシンガー・初音ミクが共演する「超歌舞伎」では、大阪会場と3,000km以上離れた台湾をIOWNの国際APNで接続。100Gbpsの高速通信と往復40ミリ秒という低遅延により、国境を越えたリアルタイムの掛け合いを実現し、観客を熱狂させた。
この超低遅延技術は、エンターテインメントの領域を超え、人命を救う可能性をも秘めている。NTTは、IOWN APNを活用した遠隔手術支援の実証実験に成功している。約30km離れた病院間で、手術支援ロボットを遠隔操作。その際の片道伝送遅延はわずか0.28ミリ秒、遅延のゆらぎに至っては最大でも0.02マイクロ秒と、ほぼゼロに等しい。これは従来のネットワークに比べて120倍以上の安定性であり、熟練医が遠隔地にいながらにして、まるでその場で執刀しているかのような精密な手術を行える未来を予感させる。
さらに、社会インフラとしての強靭化にも貢献する。2024年1月の能登半島地震では、通信インフラの寸断が深刻な問題となった。この教訓を踏まえ、NTTは他の通信事業者7社とともに、大規模災害時に相互に設備を融通し、ネットワークを早期復旧させる協力体制を構築した。IOWNのAPNは、こうした災害時のバックアップ回線としても、その大容量・低遅延性能を活かすことが期待されている。
グローバルなエコシステム構築へ
IOWN構想の実現には、NTT一社の力だけでは不十分だ。世界中のパートナーを巻き込み、オープンなエコシステムを構築することが不可欠である。そのための司令塔が、2020年1月にインテル、ソニーグループと共に設立した「IOWN Global Forum」だ。設立当初3社だったメンバーは、2025年7月末時点で167の企業・団体にまで拡大。NVIDIA、Microsoft、Ericssonといった世界の巨大テック企業が名を連ね、国際標準化に向けた議論を加速させている。
2024年8月には、台湾の中華電信との間で世界初の国際間APNを開通。約3,000kmの距離を、片道約17ミリ秒という驚異的な低遅延で結び、IOWNのグローバル展開に向けた大きな一歩を記した。
IOWNは、NTTにとって単なる技術戦略ではない。それは、AI社会の電力問題という巨大な社会課題に正面から向き合い、光技術という自社の強みを活かして解決策を提示する、サステナビリティ経営そのものである。2023年5月に発表された中期経営戦略「New value creation & Sustainability 2027 powered by IOWN」という名称が、その意志を明確に物語っている。この壮大な挑戦は、NTTを単なる通信事業者から、地球の未来を支えるゲームチェンジャーへと変貌させる可能性を秘めている。
「個」の解放と結集ー34万人の組織を動かす人的資本経営のリアリティ
IOWNという革新的な技術も、それを生み出し、社会に実装し、価値へと転換する「人」がいなければ絵に描いた餅に過ぎない。真藤初代社長が「企業の品質は、事業の中の人間である」と看破したように、NTTの変革の成否は、34万人を超える巨大な人的資本をいかに活性化できるかにかかっている。
かつての電電公社時代から続く年功序列や終身雇用といった日本的経営モデルは、安定したインフラを提供する上では機能してきた。しかし、グローバルな競争が激化し、変化のスピードが加速する現代において、その仕組みは硬直化と内向き志向の温床ともなりかねない。NTTは今、この長年続いたモデルを根底から見直し、「自律的なキャリア形成」をキーワードに、社員一人ひとりの挑戦意欲と専門性を解き放つ、大規模な組織変革に挑んでいる。
働き方の革命ー「リモートスタンダード」がもたらした変化
変革の象徴的な一手となったのが、2022年7月に導入された「リモートスタンダード」制度だ。これは、リモートワークを基本的な働き方とし、居住地の制約なく勤務できるという画期的な制度である。導入当初の対象者2.9万人から、2025年4月には5.3万人へと拡大。この制度は、単なる福利厚生の拡充ではない。それは、会社が社員の働き場所を決めるという従来の常識を覆し、働く場所の自己決定権を社員に委ねるという、マインドセットの転換を促すものだ。
その効果は着実に表れている。かつては転勤の代名詞でもあったNTTだが、制度導入後、単身赴任者は0.5万人から0.3万人へと減少した。これは、多くの社員が家族と離れることなく、キャリアを継続できるようになったことを意味する。従業員エンゲージメント調査でも、「自律的な働き方ができている」と強く肯定する社員のエンゲージメントスコアは73%と、そうでない社員(36%)を大きく上回っており、働き方の自由度がモチベーション向上に直結していることがわかる。
年功序列からの脱却ー専門性を軸とした人事制度へ
働き場所の自由化と並行して、NTTはキャリアパスのあり方にもメスを入れた。2021年には全管理職に「ジョブ型人事制度」を導入。そして2023年には、一般社員を対象に「専門性を軸とした人事制度」へと大きく舵を切った。
これは、勤続年数ではなく、社員が持つ専門性の高さと、その発揮度合いによって処遇を決定する仕組みだ。技術系、営業系、企画系など、職種ごとに18の専門分野が設定され、それぞれの分野でG1からG6までの6段階のグレード基準が設けられた。社員は自らのキャリアプランに基づき、専門性を磨き、より高いグレードを目指す。特に市場価値の高いスキルと卓越した業績を持つ社員は、年齢に関わらず「スペシャリストグレード」として高く処遇される制度も導入され、2025年4月時点で約80名が登用されている。
この制度改革を支えるのが、徹底したリスキリング支援だ。社員のスキルアップのために、年間平均で一人当たり13.3万円の研修コストと43.5時間の研修時間を投じている。さらに、社員が自らの意志でキャリアを選択できる仕組みとして「Job Board(社内公募制度)」を導入。2024年度には1,520件の応募があり、819名が新たなポストへと異動した。応募件数は旧制度の約8倍に達しており、社員の挑戦意欲がいかに高まっているかを示している。
こうした自律的キャリア形成の支援は、数字にも表れている。従業員エンゲージメント調査において、「自分のスキルや能力を仕事に十分活かせている」という項目の肯定的な回答率は65%に達し、前年から5ポイント改善した。エンゲージメント全体のスコアも、2023年度の54%から2024年度には61%へと7ポイント上昇。目標の57%を大きく上回る結果となった。これは、制度改革が社員の「働きがい」に確実に繋がっている証左と言えるだろう。
次世代リーダーの育成ーNTT Universityの挑戦
巨大組織の変革には、それを牽引する強力なリーダーシップが不可欠だ。NTTは、次世代の経営人材を計画的に育成するため、2023年7月にグループ内大学「NTT University」を開設した。
NTT Universityは、2つの主要なコースで構成される。
- Future Executive Course (FEX): 将来の執行役員候補を育成するプログラム。2025年度には320名が受講。応募資格を管理職候補層まで広げた結果、平均年齢は前年の43歳から41歳へと若返り、30代の参加者も13名から32名へと増加。若手の抜擢を加速させている。
- Next Executive Course (NEX): 5年以内の執行役員登用を目指す、より選抜されたプログラム。2025年度には180名が受講。累計修了者170名のうち、すでに70名が取締役・執行役員に登用されている。2025年度の新任役員に至っては、その7割がNEX卒業生で占められており、このプログラムが経営層への登竜門として確実に機能していることを示している。
多様性こそがイノベーションの源泉ーD&Iの深化
NTTの人的資本経営は、多様性(Diversity)と包摂性(Inclusion)の推進をもう一つの重要な柱としている。性別、国籍、障がいの有無、性的指向などに関わらず、すべての社員が自分らしく能力を発揮できる環境こそが、イノベーションの土壌となると考えているからだ。
特に女性活躍推進には長年力を入れており、その成果は外部からも高く評価されている。女性活躍推進に優れた企業として「なでしこ銘柄」に選定されたほか、「J-Winダイバーシティ・アワード」では準大賞を受賞。具体的な数値目標も野心的だ。2025年度までに女性管理職比率を15%(2024年度実績13.1%)、女性役員比率を25%〜30%(2025年6月実績26.7%)に引き上げることを目指している。
男性の育児参加も強力に推進しており、男性の育児休業取得率は目標の100%を大幅に超える120%を達成。取得期間も、1ヵ月以上が8割近くを占めており、制度が形骸化せず、実質的な育児参加に繋がっていることがうかがえる。
また、LGBTQ+に関する取り組みも先進的だ。職場におけるLGBTQ+への取り組みを評価する「PRIDE指標」では、9年連続で最高位の「ゴールド」を受賞。障がい者雇用においても、法定雇用率を上回る2.62%を達成し、約4,500人の障がいのある社員が活躍している。
これらの取り組みは、単なる社会貢献活動ではない。多様な視点や価値観が交錯することで、新たなイノベーションが生まれるという経営哲学に基づいている。NTTが目指すのは、34万人の「個」がそれぞれの能力を最大限に発揮し、互いに刺激し合いながら、ダイナミックな変革を生み出す組織。その壮大な実験は、まだ始まったばかりだ。
ガバナンスの変革ー社会との新たな対話
技術と人が両輪となって変革を推進する一方で、NTTはその経営の舵取り、すなわちコーポレート・ガバナンスにおいても大きな変革期を迎えている。巨大な公共インフラを担う企業として、社会からの厳しい視線に晒され続けてきたNTT。そのガバナンス改革は、経営の透明性と実効性を高め、グローバルな競争を勝ち抜くための必然的な選択である。
NTT法改正とガバナンス強化のアクセル
2024年4月、NTTの経営を長年規定してきた「日本電信電話株式会社等に関する法律(NTT法)」が改正された。この改正により、これまで課せられていた研究開発成果の開示・普及義務が撤廃され、外国人役員の規制も一部緩和された。これは、NTTがより機動的にグローバルなパートナーシップを組み、IOWNをはじめとする先端技術開発を加速させるための重要な法整備である。
この外部環境の変化を追い風に、NTTはガバナンス体制の強化を加速させる。その象徴が、2025年6月の株主総会を経て移行した「監査等委員会設置会社」への組織再編だ。
この移行の狙いは大きく3つある。
- 取締役会のモニタリング機能強化: 業務執行の監督に特化することで、経営戦略や重要案件に関する議論をより深める。
- 執行への権限委譲: 重要な業務執行の決定を取り締まり役から執行役員へ委譲することで、意思決定のスピードを向上させる。
- グローバルスタンダードへの適合: 海外投資家やグローバル企業にとって理解しやすいガバナンス体制を構築し、国際的な信頼性を高める。
新体制では、取締役会16名のうち、社外取締役が半数の8名を占める。監査等委員会も5名中3名が社外取締役で構成され、経営に対する独立・客観的な監視機能が大幅に強化された。また、役員の指名・報酬を審議する指名委員会と報酬委員会も、それぞれ構成員5名のうち過半数の3名を独立社外取締役が占めており、経営の最重要事項に関する決定プロセスの透明性が確保されている。
取締役会での議論も、より戦略的なテーマに集中している。2024年度の取締役会決議・報告事項のうち、経営戦略関連が45%、ガバナンス関連が45%を占め、経営の監督機能という本来の役割に注力している様子がうかがえる。
経営と株主の価値を連動させる役員報酬制度
ガバナンス改革は、役員報酬制度にも及んでいる。NTTは、役員のインセンティブを中長期的な企業価値向上へと明確に方向づけるため、報酬体系の見直しを行った。
2025年の株主総会決議後の新制度では、代表取締役社長・副社長の報酬構成において、業績連動部分の比率が従来の約50%から約60%へと引き上げられた。その業績評価指標(KPI)も、従来のEPS(1株当たり利益)中心から、キャッシュ創出力を示すEBITDAや資本効率を示すROICへとシフト。さらに、海外事業の成長を促す「海外営業利益率」や、サステナビリティへのコミットメントを示す「温室効果ガス排出量」、人的資本経営の成果を測る「従業員エンゲージメント率」、「女性の新任管理者登用率」といった非財務指標も組み込まれている。
これは、短期的な利益追求だけでなく、ESGや人的資本といった無形資産への投資が、長期的な企業価値創造に不可欠であるという経営の強い意志の表れだ。経営陣は、自らの報酬を通じて、財務的価値と社会的価値の両立に対する責任を負うことになる。
多様化する株主との対話
2023年7月、NTTは1株を25株に分割するという大胆な株式分割を実施した。投資単位を引き下げることで、より幅広い層の個人投資家が参加しやすくなることを狙ったこの施策は、劇的な変化をもたらした。
株式分割公表前の2023年5月時点で約92万人だった株主数は、2025年6月末には約3倍の274万人にまで急増。特に若年層の増加が著しく、20代以下の株主は30万人、30代は40万人に達した。個人株主の議決権保有比率も17.0%から23.0%へと上昇し、株主構成は大きく若返り、多様化した。
これは、NTTが「国民的企業」から、より広範な市民に支えられる「社会の公器」へと変化していることを示唆している。機関投資家との対話(2024年度は617件)に加え、多様化する個人株主の期待にどう応えていくか。サステナビリティへの取り組みや長期的な価値創造に関する情報開示の重要性は、ますます高まっている。NTTのガバナンス改革は、こうした新たなステークホルダーとの対話の基盤を築くための、不可欠なプロセスなのである。
終章ー「つなぐ」ことの未来価値
NTTの物語は、民営化という「自己変革」の原点から始まった。それから40年、同社は再び、IOWNという技術革新と、34万人の「個」を活かす組織変革を両輪に、壮大な自己変革の旅に出ようとしている。
その旅路は、AIがもたらす電力危機という地球規模の課題への挑戦であり、国境や組織の壁を超えてオープンなエコシステムを築く試みであり、そして巨大組織の中で埋もれがちな一人ひとりの才能と情熱を解き放つ実験でもある。
Perfumeのパフォーマンスが示したように、IOWNが「つなぐ」のは、もはや単なる場所と場所ではない。それは時間と空間であり、現実と仮想であり、そして人と人の感性そのものだ。遠隔手術が医師の知見を距離の制約から解放するように、IOWNはあらゆる価値を「つなぎ」、新たな可能性を創出する。
しかし、その未来を実現するのは技術だけではない。NTTが新たに掲げたValues「Act with Integrity, Build Trust, Create Connections」を体現する、誠実で、信頼され、そしてつながりを創造しようとする「人」の力があってこそ、技術は真に社会の役に立つ「ヒューマンな」価値を生み出す。
巨象は、再び踊り始めた。そのステップは、時に重く、時にぎこちないかもしれない。しかし、その視線は確かに、サステナブルな未来、そしてコミュニケーションを通じて人々が豊かになる社会という、創業以来変わらぬ地平を見据えている。NTTがこれから紡ぎ出す「つなぐ」ことの新たな物語は、日本企業、ひいては世界の持続可能性の未来を占う、重要な試金石となるだろう。
出典(112件)
- 340000 人 NTTグループの国内外の社員数(2025年度実績)(統合報告書 2025年度, p.17)
- 40 年 NTTグループ民営化からの経過年数(統合報告書 2025年度, p.5)
- 民営化 NTTグループの企業活動の原点(統合報告書 2025年度, p.4)
- 企業の品質は、事業の中の人間 真藤社長あいさつにおける企業品質の考え方(統合報告書 2025年度, p.4)
- コミュニケーションを通じ、人間社会の発展と人々の豊かな暮らしのお役にたつため、お客さまを発想の原点とし、常に未来を考えダイナミックに自己革新を続け、真に世の中の役に立つヒューマンな企業をめざす NTTグループのコーポレートアイデンティティ(企業理念)(統合報告書 2025年度, p.4)
- 15 % 音声関連サービス収入の営業収益に占める割合(統合報告書 2023年度, p.7)
- N/A N/A NTTが事業を拡大してきた領域(統合報告書 2023年度, p.3)
- 992 社 NTTグループ連結子会社数(2025年3月末時点)(統合報告書 2025年度, p.6)
- 4 割 グローバル事業の従業員比率(2025年6月)(統合報告書 2025年度, p.25)
- 2025年5月 NTT Group's Core & Valuesの制定時期(統合報告書 2025年度, p.5)
- 人々の豊かな暮らしと地球の未来に貢献するため、お客さまを発想の原点とし、常に自己革新を続け、世の中にダイナミックな変革をもたらす企業グループをめざす。 NTT Group's Core(私たちのありたい姿)(統合報告書 2025年度, p.5)
- Act with Integrity, Build Trust, Create Connections NTT Group's Values(私たちの価値観)(統合報告書 2025年度, p.5)
- 60 人 NTT Group's Core策定ワーキンググループ参加社員数(統合報告書 2025年度, p.55)
- 2021 年11月 NTTグループサステナビリティ憲章の制定時期(統合報告書 2025年度, p.32)
- 2025-07-01 商号変更およびCI刷新の実施日(統合報告書 2025年度, p.81)
- 992 社 NTTグループのグループ会社数(2025年度実績)(統合報告書 2025年度, p.17)
- 200 国・地域 商標出願・登録を行っている国・地域数(統合報告書 2025年度, p.81)
- 1000 MW時を超える 大規模AI構築に必要な電力(統合報告書 2025年度, p.18)
- 160 mW 電気配線による伝送の消費電力(伝送距離30cm)(統合報告書 2025年度, p.8)
- 1 % 日本の電力消費に占めるNTTグループの割合(統合報告書 2024年度, p.19)
- 0 ネットゼロ 気候変動ネットゼロ目標年度(統合報告書 2025年度, p.12)
- 20 mW 光通信による伝送の消費電力(伝送距離30cm)(統合報告書 2025年度, p.8)
- 2023年3月 IOWN 1.0の商用化時期(統合報告書 2025年度, p.18)
- 200 倍 APN IOWN 1.0による遅延削減率(統合報告書 2023年度, p.31)
- 1/8 IOWN 1.0による消費電力削減効果(統合報告書 2025年度, p.18)
- 2025 年 IOWN 2.0のサービス開始年(統合報告書 2025年度, p.9)
- 3.2 Tbit/s 光電融合デバイス「PEC-2」のデータ伝送速度(統合報告書 2025年度, p.69)
- 1/8 (従来比) IOWN 2.0における電力消費削減目標(統合報告書 2025年度, p.9)
- 2 倍 IOWN 2.0の通信容量向上目標(統合報告書 2025年度, p.18)
- 102.4 テラビット/秒 2026年度商用版IOWN 2.0通信容量目標(統合報告書 2025年度, p.27)
- 2028 年 IOWN 3.0のサービス開始年(統合報告書 2025年度, p.9)
- 2032 年頃 IOWN 4.0のサービス開始予定年(統合報告書 2025年度, p.9)
- 1/100 (従来比) IOWN 4.0における最終的な電力消費削減目標(統合報告書 2025年度, p.9)
- 1966 年 光ファイバー研究の開始年(統合報告書 2024年度, p.12)
- 知の泉を汲んで実用化により世に恵を具体的に提供しよう NTT研究所のDNAとして受け継がれる理念(統合報告書 2025年度, p.78)
- 100 件以上 光電融合デバイス関連の特許出願数(統合報告書 2024年度, p.12)
- 50 %が権利化 光電融合デバイス関連特許の権利化割合(統合報告書 2024年度, p.12)
- 3000 km超 超歌舞伎におけるIOWNによるリアルタイム伝送距離(統合報告書 2025年度, p.71)
- 100 Gbps 超歌舞伎におけるIOWNの回線速度(統合報告書 2025年度, p.71)
- 40 ミリ秒 超歌舞伎におけるIOWNの往復遅延時間(統合報告書 2025年度, p.71)
- 30 km IOWN APNによる遠隔手術支援の実証距離(統合報告書 2025年度, p.68)
- 0.28 ミリ秒 IOWN APNによる遠隔手術支援の片道伝送遅延(統合報告書 2025年度, p.68)
- 0.02 マイクロ秒 IOWN APNによる遠隔手術支援の最大遅延ゆらぎ(統合報告書 2025年度, p.68)
- 120 倍以上 IOWN APNの最大遅延ゆらぎ性能(従来ネットワーク比)(統合報告書 2025年度, p.68)
- 8 社 2024年12月に構築された大規模災害時ネットワーク早期復旧協力体制の参加企業数(統合報告書 2025年度, p.29)
- 167 企業・団体 IOWN Global Forumへの参画企業・団体数(2025年7月末時点)(統合報告書 2025年度, p.28)
- 2024-08 世界初のIOWN国際間APN開通年月(統合報告書 2025年度, p.70)
- 2893 km 日本と台湾間のIOWN国際APN接続距離(統合報告書 2025年度, p.67)
- 16.92 ミリ秒 日本と台湾間のIOWN国際APN片道遅延(統合報告書 2025年度, p.67)
- New value creation & Sustainability 2027 powered by IOWN 中期経営戦略の名称と目標年度(統合報告書 2025年度, p.102)
- 34.1 万人 NTTグループ全体の従業員数(統合報告書 2025年度, p.13)
- 5.3 万人 リモートスタンダード対象社員数(2025年4月時点)(統合報告書 2025年度, p.60)
- 0.3 万人 単身赴任者数(2025年4月時点)(統合報告書 2025年度, p.60)
- 73 % 自律的な働き方を「非常にそう思う」場合のエンゲージメント肯定的回答率(統合報告書 2025年度, p.64)
- 36 % 自律的な働き方を「全くそう思わない」場合のエンゲージメント肯定的回答率(統合報告書 2025年度, p.64)
- 2021 年 全管理職へのジョブ型人事制度導入年(統合報告書 2023年度, p.8)
- 2023 年 専門性を軸とした人事制度見直し実施年(統合報告書 2023年度, p.8)
- 18 分野 NTTグループの専門分野数(統合報告書 2025年度, p.49)
- 6 段階 NTTグループの社員グレード段階数(統合報告書 2025年度, p.49)
- 80 名 スペシャリストグレード登用社員数(2025年4月時点)(統合報告書 2025年度, p.51)
- 13.3 万円 年間平均研修コスト(社員1人当たり)2024年度実績(統合報告書 2025年度, p.111)
- 43.5 時間 主要会社における社員1人当たり平均研修時間(2024年度)(統合報告書 2025年度, p.50)
- 1520 件 Job Board (公募制度) 2024年度応募件数(統合報告書 2025年度, p.54)
- 819 名 Job Board (公募制度) 2024年度合格者数(統合報告書 2025年度, p.54)
- 8 倍 Job Board (公募制度) 応募件数の旧制度比増加率(統合報告書 2025年度, p.54)
- 5 % 2024年度スキル・能力活用肯定回答率の前年比改善(統合報告書 2025年度, p.47)
- 54 % 従業員エンゲージメント率 2023年度実績(統合報告書 2024年度, p.6)
- 61 % 2024年度従業員エンゲージメント率実績値(統合報告書 2025年度, p.108)
- 57 % 2024年度従業員エンゲージメント率目標値(統合報告書 2025年度, p.108)
- 2023 年 NTT University開設(統合報告書 2023年度, p.18)
- 320 名 Future Executive Course (FEX) 受講者数(統合報告書 2025年度, p.53)
- 43 歳 Future Executive Course (FEX) 入学時の平均年齢(統合報告書 2025年度, p.53)
- 41 歳 Future Executive Course (FEX) 受講者の平均年齢(統合報告書 2025年度, p.53)
- 13 名 Future Executive Course (FEX) 30代入学者の数(統合報告書 2025年度, p.53)
- 32 名 Future Executive Course (FEX) 30代入学者の数(統合報告書 2025年度, p.53)
- 180 名 Next Executive Course (NEX) 受講者数(統合報告書 2025年度, p.53)
- 70 名 NEX卒業生の取締役・執行役員登用数(累計)(統合報告書 2025年度, p.53)
- 70 % 新任役員に占めるNEX卒業生の割合(統合報告書 2025年度, p.53)
- 2024 なでしこ銘柄 2024年度選定(統合報告書 2025年度, p.113)
- 2025 J-Winダイバーシティ・アワード 2025年準大賞受賞(統合報告書 2025年度, p.113)
- 15 % 管理職に占める女性割合目標(統合報告書 2025年度, p.31)
- 13.1 % 女性管理者比率(2024年度実績)(統合報告書 2025年度, p.46)
- 26.7 % 女性役員比率(2025年6月実績)(統合報告書 2025年度, p.46)
- 100 % 男性育児休職等取得率(目標)(統合報告書 2025年度, p.60)
- 120 % 男性育児休職等取得率(2024年度実績)(統合報告書 2025年度, p.60)
- 43 % 男性育児休職復職者の取得期間1ヵ月以上3ヵ月未満(2024年度)(統合報告書 2025年度, p.60)
- 36 % 男性育児休職復職者の取得期間3ヵ月以上(2024年度)(統合報告書 2025年度, p.60)
- 9 年連続 PRIDE指標Gold受賞連続年数(2024年)(統合報告書 2025年度, p.59)
- 2.62 % NTTグループ障がい者雇用率(2025年)(統合報告書 2025年度, p.59)
- 4500 人 NTTグループ全体の障がいのある社員数(2025年)(統合報告書 2025年度, p.59)
- 4 月 NTT法の改正年月(統合報告書 2024年度, p.12)
- N/A 監査等委員会設置会社への移行(2025年6月)(統合報告書 2025年度, p.25)
- 16 名 2025年6月以降の取締役会構成員数(統合報告書 2025年度, p.99)
- 50 % 取締役会における社外取締役比率(統合報告書 2025年度, p.104)
- 60 % 監査等委員会における社外監査等委員比率(統合報告書 2025年度, p.104)
- 60 % 指名委員会における社外取締役比率(統合報告書 2025年度, p.104)
- 60 % 報酬委員会における社外取締役比率(統合報告書 2025年度, p.104)
- 45 % 取締役会決議・報告事項における経営戦略関連の割合(統合報告書 2025年度, p.104)
- 45 % 取締役会決議・報告事項におけるガバナンス関連の割合(統合報告書 2025年度, p.104)
- 60 % 代表取締役社長及び副社長の業績連動報酬割合(改定後)(統合報告書 2025年度, p.107)
- 4 兆円 中期経営戦略における2027年度EBITDA拡大目標(統合報告書 2025年度, p.24)
- 6.6 % 2024年度既存分野ROIC目標値(投下資本利益率)(統合報告書 2025年度, p.108)
- 8.5 % 2024年度海外営業利益率目標値(統合報告書 2025年度, p.108)
- 225 万t以下 2024年度温室効果ガス排出量目標値(統合報告書 2025年度, p.108)
- 30 % 2024年度女性の新任管理者登用率目標値(統合報告書 2025年度, p.108)
- 25 倍 株式分割比率(2023年7月1日実施)(統合報告書 2023年度, p.27)
- 92 万人 株式分割公表前の株主数 (2023年5月)(統合報告書 2024年度, p.38)
- 274 万人 2025年6月末時点の株主総数(統合報告書 2025年度, p.21)
- 30 万人 2025年6月末時点の20代以下の株主数(統合報告書 2025年度, p.21)
- 40 万人 2025年6月末時点の30代の株主数(統合報告書 2025年度, p.21)
- 23.0 % 2025年6月末時点の個人株主による議決権保有比率(統合報告書 2025年度, p.21)
- 617 件 投資家との対話件数(2024年度)(統合報告書 2025年度, p.25)
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