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2024年の創業100周年を機に制定されたグループスローガン「Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する」。人を基軸にした経営の伝統を受け継ぎつつ、グローバルな未来志向を表現している。

Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する

総合分析
1924〜2024年度

空気と人、そして未来ーダイキン100年の技術と哲学が描くサステナビリティの航路

2024年5月、新緑が目にまぶしい大阪のザ・シンフォニーホールは、祝祭の熱気に包まれていた。ステージ上のオーケストラが奏でる荘厳な調べの中、集まったのはダイキングループの幹部や従業員、そして関係者たち、総勢2,000名。彼らは、一世紀にわたる企業の歩みを祝うために、この場所に集結していた。創業者・山田晁がわずか15名の...

ダイキン

IT・テクノロジー
2026年2月8日

主要ファクト

ダイキンの分析で使用した主要なデータポイント

指標
1972年、ベルギーにダイキンヨーロッパ社を設立。日本の空調メーカーとして初めて欧州に拠点を構え、現在では170カ国以上で事業展開、従業員9.6万人超のグローバル企業へと成長した。(2024年)1972年欧州進出・現在170カ国以上で展開
2024年5月、創業100周年記念式典を大阪・ザ・シンフォニーホールで開催し2,000名が参加。同時にグループ経営理念を22年ぶりに刷新し、次の100年に向けた企業としての存在意義を再定義した。(2024年)創業100周年で経営理念を刷新(2024年)
2024年の創業100周年を機に制定されたグループスローガン「Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する」。人を基軸にした経営の伝統を受け継ぎつつ、グローバルな未来志向を表現している。(2024年)Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する
ダイキングループのありたい姿:「世界中の人に快適と安心を提供し続けること、それが、ダイキンの使命であり責任です。人が持つ無限の可能性を信じ、情熱を結集して、新たな技術を生み出し、持続可能で豊かな未来をダイキンは切り拓いていきます。」(2024年)世界中の人に快適と安心を提供し続ける
「空気」と「環境」の新しい価値を創造することをブランドの根幹に据える。空調の普及に伴うエネルギー消費増大と気候変動への影響を認識し、環境負荷を減らしながら人や空間の健康・快適を実現する社会を目指す。(2024年)空気と環境の価値創造がブランドの根幹
2012年、世界で初めてR-32冷媒を使用したエアコンを市場投入。従来のR-410Aと比べ地球温暖化係数が約3分の1のR-32の特許を無償開放し、業界全体の環境負荷低減を主導した。(2024年)世界初R-32冷媒エアコン・特許無償開放
「環境ビジョン2050」として温室効果ガス排出実質ゼロを目標に掲げる。空調メーカーとして世界の猛暑による健康課題とエネルギー消費増大の課題解決を最重要使命と位置づけている。(2024年)2050年温室効果ガス排出実質ゼロ目標
戦略経営計画「FUSION25」で売上高3.6兆円・営業利益率12%を目標に設定。カーボンニュートラル、顧客つながりソリューション、空気価値創造の3テーマを成長戦略の柱に据える。(2024年)FUSION25:売上3.6兆円・営業利益率12%目標

6件のファクトは記事末尾の「使用データ一覧」でご確認いただけます。

“我々の使命は、単に快適な空気を届けることではない。人々が生きる空間そのものの質を高め、地球環境との調和の中で、人類の無限の可能性を解き放つことにある”

もしダイキン工業の100年の歴史を凝縮した言葉があるとするならば、それはこのようなものになるかもしれない。2024年、創業100周年という大きな節目を迎えたこの巨大企業は、大阪の小さな町工場から世界170カ国以上[REF:global_expansion_milestone_2024]に展開するグローバルリーダーへと変貌を遂げた。その軌跡は、単なる事業拡大の物語ではない。それは、技術への飽くなき探求心、人を信じ抜く経営哲学、そして自らが引き起こす影響への深い省察が織りなす、壮大な叙事詩である。

本稿では、ダイキンの過去、現在、そして未来を貫く思想の核心に迫る。創業期の技術的ブレークスルーから、世界市場を席巻した戦略的M&A、そして現代におけるESG経営への挑戦まで。その一つひとつの決断の裏には、常に「人」と「空気」という二つのキーワードが存在した。なぜダイキンは、社会的な矛盾を事業成長のエンジンへと転換し続けられるのか。その答えは、彼らが「空気の会社」から「未来の可能性を創造する会社」へと自己変革を遂げようとする、静かだが確固たる意志の中にある。これは、ダイキンという一企業の分析を超え、21世紀の企業がいかにして経済的価値と社会的価値を統合し、持続可能な未来を築くことができるかという、普遍的な問いへの一つの回答である。

序章、100年目の再定義

2024年5月、新緑が目にまぶしい大阪のザ・シンフォニーホールは、祝祭の熱気に包まれていた。ステージ上のオーケストラが奏でる荘厳な調べの中、集まったのはダイキングループの幹部や従業員、そして関係者たち、総勢2,000名。彼らは、一世紀にわたる企業の歩みを祝うために、この場所に集結していた[2]。創業者・山田晁がわずか15名の従業員とともに飛行機用ラジエーターチューブの製造を始めた[3]ささやかな町工場が、売上高数兆円、従業員9.6万人超[1]を擁する空調の巨人へと成長した歴史の重みが、会場の隅々にまで満ちていた。

しかし、この日の式典は、単なる過去の栄光を振り返るためのものではなかった。それは、未来に向けた新たな誓いの場であった。この日、ダイキンは22年ぶりにグループ経営理念を刷新し、次の100年を見据えた新たな羅針盤を提示したのだ[2]

壇上に立った経営陣の口から語られたのは、未来への強いコミットメントだった。新たに掲げられたグループスローガンは、「Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する」[4]。この言葉は、ダイキンが創業以来、最も大切にしてきた価値観ー「人を基軸におく経営」ーを色濃く反映している。技術や資本ではなく、「人」こそが未来を創造する原動力であるという、揺るぎない信念の表明だ。

さらに、グループのありたい姿として、「世界中の人に快適と安心を提供し続けること」[5]が改めて定義された。これは単なる製品提供を意味しない。その後に続く言葉が、ダイキンの使命感の深さを物語っている。「人が持つ無限の可能性を信じ、情熱を結集して、新たな技術を生み出し、持続可能で豊かな未来をダイキンは切り拓いていきます」[5]

「快適」と「持続可能」。この二つの言葉は、現代社会においてしばしばトレードオフの関係にあると見なされる。エアコンの普及は人々の生活を快適にしたが、同時にエネルギー消費を増大させ、地球温暖化の一因ともなった。空調の世界トップメーカーであるダイキンは、この矛盾のど真ん中に立つ存在だ。だからこそ、彼らはこの矛盾の解消を自らの最重要使命と位置づける。100周年の節目に刷新された理念は、この巨大な社会的課題に対するダイキンの覚悟そのものなのである。

この記念式典は、ダイキンの歴史における一つのクライマックスであり、同時に新たな物語のプロローグでもあった。彼らはいかにしてこの場所にたどり着いたのか。そして、この新たな誓いを胸に、どこへ向かおうとしているのか。その答えを探る旅は、100年前の大阪の一角から始まる。

第1章、DNAの源流ー町工場から技術立社への道

ダイキンの物語は、いつの時代も技術への執念から始まる。その原点は、1924年に山田晁が創立した合資会社大阪金属工業所に遡る[3]。当時の日本は、第一次世界大戦後の好景気に沸き、航空機産業が黎明期にあった。山田が着目したのは、飛行機のエンジンを冷却するためのラジエーターチューブ。大手が手掛けないニッチな分野で、卓越した技術を武器に市場を切り拓こうという野心的な試みだった。この創業の精神ー「他社がやらないことに挑戦し、技術で道を切り拓く」ーは、100年後の今もダイキンのDNAに深く刻み込まれている。

創業から約10年、ダイキンの歴史を決定づける最初の大きな転換点が訪れる。1935年、日本で初めてフルオロカーボンガス、すなわち「フロン」の生産に成功したのだ[6]。当時、冷凍機用の冷媒はアンモニアが主流だったが、毒性や可燃性という大きな課題を抱えていた。一方、米国で開発されたフロンは、無毒・不燃で化学的に安定しており、「夢の化学物質」と呼ばれていた。しかし、その製造は極めて困難で、国内での実用化は不可能とさえ考えられていた。

山田と技術者たちは、この難題に真正面から挑んだ。文献も乏しく、試行錯誤の連続。失敗の山を築きながらも、彼らは諦めなかった。このフロン生産の成功は、単に一つの新技術を獲得した以上の意味を持っていた。それは、ダイキンという企業に二つの強力なエンジンを授けることになる。一つは、フロンそのものを応用展開する「フッ素化学事業」。もう一つは、フロンを冷媒として活用する「空調事業」である。この両輪が、後のダイキンの飛躍的な成長を支える屋台骨となった。この成功体験は、「いかなる困難な技術課題も、人の情熱と探求心で乗り越えられる」という強烈な信念を社内に植え付けた。これが、技術立社ダイキンの原点である。

第二次世界大戦の荒波を乗り越え、日本が復興の道を歩み始めた1951年、ダイキンは再び歴史的な一歩を踏み出す。日本初となるパッケージ形エアコンの開発である[7]。それまでのエアコンは、冷凍機、送風機、熱交換器などを現場で組み立てる大掛かりな設備であり、一部のビルや工場にしか導入できなかった。ダイキンは、これらの機器を一つの筐体(パッケージ)に収めることで、設置を容易にし、オフィスや店舗など、より幅広い場所への普及を可能にした。

この開発の裏側にも、フロン製造で培った冷媒技術の深い知見があった。独自のダイレクト・エクスパンション方式を採用し、効率性とコンパクト化を両立させたこの製品は、日本の空調業界に革命をもたらした[7]。人々が「涼しさ」を手軽に手に入れられる時代の幕開けであり、ダイキンが本格的に空調事業へと舵を切った瞬間だった。

事業領域が金属加工から化学、そして機械へと大きく広がる中で、社名が実態と合わなくなってきたのは当然の帰結だった。1963年、大阪金属工業は「ダイキン工業」へと社名を変更する[8]。「ダイキン」という名は、大阪金属の「大金」に由来し、すでに製品ブランドとして親しまれていた。この社名変更は、単なる名称の変更ではない。金属工業という枠組みを自ら脱ぎ捨て、フッ素化学と空調を両輪とする総合メーカーとしてのアイデンティティを確立するという、力強い自己変革の宣言だった。

この創業から約40年間の歩みは、ダイキンの企業文化の根幹を形成した。それは、ニッチな市場から始めて技術でトップを獲るという成功体験、困難な課題に挑み続ける探求心、そして自社のコア技術を基盤に新たな事業領域を切り拓く戦略的思考である。このDNAがあったからこそ、ダイキンは次の時代、世界を舞台にしたより大きな挑戦へと踏み出すことができたのである。

第2章、グローバルスタンダードの創造者ー世界を制したイノベーション

1970年代に入ると、ダイキンは国内市場での成功に安住することなく、その視線を世界へと向け始める。その最初の大きな一歩が、1972年のダイキンヨーロッパ社設立である[1]。日本の空調メーカーとして初めて欧州に生産・販売拠点を構えるというこの決断は、当時の常識からすれば大胆な挑戦だった。気候も文化も、そして建物の構造も日本とは全く異なる欧州市場で、日本の製品が通用する保証はどこにもなかった。しかし、ダイキンは未知の市場にこそ成長の機会があると信じ、果敢に海を渡った。

この欧州での挑戦が、後に世界を席巻する画期的なイノベーションを生み出す土壌となった。欧州のビルは石造りが多く、部屋ごとに空調の需要が異なる。セントラル空調ではエネルギー効率が悪く、かといって部屋ごとに室外機を設置するのは美観を損ねる。現地のニーズを徹底的に掘り下げる中で、技術者たちは一つの問いに突き当たった。「1台の室外機で、複数の室内機を個別に、しかも効率よく運転させることはできないか?」

この問いへの答えが、1982年に発売された世界初のビル用マルチエアコン「VRV(Variable Refrigerant Volume)」だった[9]。日本語では「可変冷媒流量制御方式」と訳されるこのシステムは、まさに革命的だった。1台の室外機から伸びる2本の冷媒配管に、最大で数十台の室内機を接続。それぞれの室内機は、部屋の状況に応じて必要な分だけ冷媒を流し、個別に温度設定やON/OFFが可能。これにより、設計の自由度、省エネ性能、快適性が飛躍的に向上した。

VRVの登場は、ビル空調の概念そのものを一変させた。それまで主流だったセントラル空調方式や、各部屋に室外機を置く個別方式の「いいとこ取り」を実現したこのシステムは、瞬く間に市場に受け入れられた。特に、複雑な間取りや多様なテナントニーズに対応しなければならない中小規模のビルディングオーナーから絶大な支持を得た。ダイキンは、単に新しい製品を開発したのではない。「ビル用マルチエアコン」という新しい市場を創造し、そのグローバルスタンダードを自ら作り上げたのだ。

VRVの成功は、ダイキンの「人を基軸におく経営」の真骨頂を示す事例でもある。このイノベーションは、研究室の中だけで生まれたものではない。欧州の現場で、顧客の声に耳を傾け、彼らが抱える潜在的な課題ー「本当はこうしたいけれど、技術的に無理だろう」と諦めていたニーズーを深く理解しようとした営業担当者と、その想いを技術で形にしようと奮闘した開発者が一体となって初めて実現したものだ。顧客の困りごとを起点に、技術の力で解決策を提示する。この愚直なまでの顧客志向が、世界を変えるイノベーションの源泉となった。

VRVという強力な武器を手にしたダイキンは、グローバル展開を加速させる。欧州での成功を皮切りに、アジア、オセアニア、そして中南米へと市場を拡大。各地の気候や文化、建築様式に合わせて製品をローカライズしながら、VRVで培ったコア技術を武器にシェアを伸ばしていった。1972年の欧州進出から始まったグローバル化の歩みは、21世紀に入る頃には、ダイキンを世界有数の空調メーカーへと押し上げていた。

しかし、彼らの前には、まだ攻略できずにいた巨大な市場が残されていた。世界最大の空調市場、北米である。この最後のフロンティアへの挑戦が、ダイキンの歴史における次なる、そして最大の転換点を引き起こすことになる。

第3章、北米攻略と世界No.1への道ー37億ドルの賭け

21世紀初頭のダイキンにとって、北米市場はまさに「巨象」だった。市場規模は世界最大。しかし、その構造は日本や欧州とは全く異なっていた。北米の住宅では、家全体を一台の大型空調機で冷暖房する「ダクト式セントラル空調」が主流。部屋ごとに個別空調を行うダイキン得意の「ダクトレス」方式は、ニッチな存在に過ぎなかった。強力な現地メーカーが築き上げた分厚い販売網と、保守的な市場の壁に、ダイキンは長年苦戦を強いられていた。

この状況を打開するために、経営陣が下した決断は、衝撃的だった。2012年、ダイキンは米国の住宅用空調大手、Goodman Global社を約37億ドル(当時のレートで約3,000億円)で買収すると発表したのだ[10]。これはダイキン史上最大規模のM&Aであり、日本の製造業全体で見ても異例の巨額投資だった。社内外からは「高すぎる買い物ではないか」「リスクが大きすぎる」といった懸念の声も上がった。まさに、会社の未来を賭けた一大決心だった。

なぜダイキンは、これほど大きなリスクを取ったのか。その背景には、空調の世界シェアNo.1の地位を確立するという明確な戦略目標があった。当時のダイキンは、欧州やアジアでは強固な地位を築いていたが、北米市場でのシェアの低さがアキレス腱となっていた。世界一になるためには、この巨大市場の攻略が不可欠。自力での成長には時間がかかりすぎる。ならば、一気に市場の主要プレイヤーになるための最短距離を選ぶーそれがGoodman買収という答えだった。

Goodmanは、ダイキンが持っていないものをすべて持っていた。ダクト式空調の製品ラインナップ、全米に広がる強力な販売・サービス網、そして現地の市場を知り尽くした人材。一方、ダイキンには、省エネ性能に優れたインバータ技術や、VRVで培った最先端の空調制御技術があった。この二つの企業が融合すれば、互いの強みを活かした強力なシナジーが生まれるはずだ。ダイキンの経営陣はそう確信していた。

しかし、巨大なクロスボーダーM&Aの成功は、買収契約の調印で終わるわけではない。むしろ、そこからが本当の始まりだ。異なる歴史、文化、価値観を持つ二つの組織をいかにして一つに統合するか(PMI: Post Merger Integration)。多くの企業がこの難題に失敗してきた。

ダイキンがここで拠り所としたのが、創業以来の経営哲学「人を基軸におく経営」だった。ダイキンは、Goodmanを一方的に支配・吸収するのではなく、その経営の自主性を尊重し、従業員のやる気を引き出すことを最優先した。Goodmanの経営陣を留任させ、彼らの知見を最大限に活用。同時に、ダイキンからも技術者や経営幹部を送り込み、両社の強みを融合させるための対話を粘り強く続けた。

例えば、Goodmanの強みであった「低コスト生産」「シンプルな製品構造」といった思想を学び、ダイキンの製品開発にも取り入れた。逆に、ダイキンのインバータ技術をGoodmanの製品に搭載し、省エネ性能を劇的に向上させた新製品を開発。これにより、北米市場で環境意識の高い顧客層からの支持を獲得することに成功した。

この買収は、まさにダイキンの歴史における「最大の転換点」となった[10]。北米市場への本格参入を果たしたことで、ダイキンは悲願であった空調世界シェアNo.1の地位を確固たるものにした。しかし、その成果は売上やシェアといった数字だけにとどまらない。Goodmanという異文化との融合を通じて、ダイキンは真のグローバル企業としての経営能力を格段に高めた。多様な価値観を受け入れ、それぞれの強みを引き出して一つの力へと結集させる。この経験は、世界170カ国以上[1]でビジネスを展開する現在のダイキンにとって、何物にも代えがたい財産となっている。

37億ドルの賭けは、見事に成功した。ダイキンは世界の頂点に立った。しかし、頂に立った者には、新たな、そしてより大きな責任が待ち受けていた。自らの事業が地球環境に与える影響と、いかに向き合うかという、根源的な問いである。

第4章、矛盾を価値に変えるーESG経営という必然

世界の空調トップメーカーになるということは、世界で最も多くエアコンを売り、その結果として世界で最も多くエネルギーを消費させ、温室効果ガス排出に影響を与える企業になるということでもある。この厳しい現実から、ダイキンは目を背けることはできなかった。快適な生活空間を提供するという自社の事業が、気候変動という地球規模の課題と直結している。この根源的な矛盾こそが、ダイキンのESG経営を形作る原動力となっている。

ダイキンのブランドの根幹には、「『空気』と『環境』の新しい価値を創造すること」が据えられている[11]。これは、単なる美辞麗句ではない。空調の普及に伴うエネルギー消費の増大と気候変動への影響を真正面から受け止め、環境負荷を減らしながら、人や空間の健康・快適を実現するという、極めて困難な課題への挑戦状である。彼らのESG経営は、社会的要請に応えるための受動的な活動ではなく、この矛盾を乗り越えること自体を新たな事業機会と捉える、能動的かつ戦略的な営みなのである。

その最も象徴的な事例が、冷媒「R-32」を巡る一連の取り組みだ。

エアコンの冷媒として長年使われてきたフロン類は、オゾン層を破壊する、あるいは地球温暖化への影響が大きいという課題を抱えていた。ダイキンは、自らが日本で初めて量産に成功した[6]フロンの歴史を持つ企業として、この問題に誰よりも真摯に向き合う責任があると考えていた。

長年の研究開発の末、ダイキンはついに理想的な次世代冷媒を見つけ出す。それがR-32だった。当時主流だった冷媒R-410Aと比べて、地球温暖化係数が約3分の1と格段に低く、エネルギー効率も高い。2012年、ダイキンは世界で初めてこのR-32を採用した家庭用エアコンを市場に投入した[12]

ここで、ダイキンは常識を覆す決断を下す。この画期的なR-32に関する基本特許を、新興国を中心に全世界で「無償開放」したのだ[12]

通常、このような革新的技術は特許で固く守り、競争優位の源泉とするのが企業の常道だ。しかし、ダイキンは異なる道を選んだ。気候変動という全人類的な課題の解決には、一社の努力だけでは限界がある。業界全体で、より環境負荷の低いR-32への転換を加速させることが不可欠だと考えたのだ。もし自社だけで技術を独占すれば、R-32の普及は遅々として進まないだろう。それならば、競合他社にも技術を開放し、市場全体のスタンダードを塗り替える方が、結果として地球環境への貢献は大きくなる。

この決断は、短期的な利益を度外視した、極めて長期的で大局的な視点に基づいている。しかし、それは決して単なる慈善活動ではない。業界全体の環境負荷低減を主導することで、ダイキンは「環境技術のリーダー」としてのブランドイメージを確立し、市場におけるルールメーカーとしての地位を不動のものにした。社会課題の解決を自社の事業戦略と完全に一体化させるーこれこそが、ダイキンのESG経営の神髄である。

この思想は、より大きな目標へと結実していく。ダイキンは「環境ビジョン2050」を策定し、2050年までに自社の事業活動における温室効果ガス排出量を実質ゼロにすることを宣言した[13]。これは、製品の使用段階だけでなく、開発、生産、廃棄に至るまでのバリューチェーン全体を対象とする野心的な目標だ。

このビジョンの実現に向けた具体的な実行計画が、戦略経営計画「FUSION25」である[14]。この計画では、売上高3.6兆円、営業利益率12%といった財務目標と並んで、「カーボンニュートラル」「顧客つながりソリューション」「空気価値創造」という3つの成長戦略テーマが柱として掲げられている[14]。環境への取り組みがコストではなく、成長戦略そのものであると明確に位置づけられているのだ。

例えば、「カーボンニュートラル」のテーマでは、さらなる省エネ技術の開発や再生可能エネルギーの導入はもちろん、製品のライフサイクル全体でのCO2排出量削減に取り組む。また、「顧客つながりソリューション」では、IoT技術を活用して空調機をネットワークに接続し、遠隔監視や最適制御を行うことで、顧客の使用エネルギーを削減するサービスを展開する。

ダイキンのESG経営は、事業が社会に与える負の影響への責任を果たすという守りの側面と、社会課題の解決を新たな成長の機会へと転換する攻めの側面を併せ持つ。彼らは、快適性と持続可能性という二律背反に見える課題を、「技術」と「人」の力で統合しようとしている。その先に、ダイキンが描く次の100年の姿が見えてくる。

第5章、未来の空気を創るー「人」が主役の次の100年

創業から一世紀を経て、ダイキンは再び自らの存在意義を問い直している。2024年に刷新されたグループビジョン「世界中の人に快適と安心を提供し続ける」[5]は、これまでの100年の歩みを踏まえつつ、未来に向けた新たな地平を指し示している。そのキーワードは、「空気の価値」の再定義である。

戦略経営計画「FUSION25」の柱の一つに掲げられた「空気価値創造」[14]。これは、ダイキンがもはや単なる「ハコ」、すなわちエアコンという物理的な製品を売る会社ではないことを宣言している。彼らが提供しようとしているのは、目に見えない「空気」そのものが持つ、無限の可能性だ。

これまでの空調の役割は、主に温度と湿度をコントロールし、物理的な快適さを提供することだった。しかし、ダイキンが見据える未来の「空気」は、それだけではない。それは、人々の健康を増進し、知的生産性を高め、創造性を刺激し、感性に訴えかける、より高次元の価値を持つものだ。

例えば、空気中のウイルスやアレルゲンを抑制することで感染症のリスクを低減する「健康な空気」。脳波や心拍数をセンシングし、集中力やリラックス効果を最大化するように温度や気流を最適化する「生産性を高める空気」。あるいは、空間の用途や人々の気分に合わせて、光や音、香りと連動して心地よさを演出する「感性豊かな空気」。

このような「空気価値」を実現するためには、空調機単体の性能向上だけでは不十分だ。センサー技術、AI、IoT、さらには脳科学や心理学といった異分野の知見を融合(FUSION)させることが不可欠となる。ダイキンは、世界中のスタートアップや研究機関と連携し、オープンイノベーションを加速させている。彼らは、自らを「空調メーカー」から「空気のソリューションプロバイダー」へと変革させようとしているのだ。

この壮大なビジョンを実現するための究極の原動力は何か。ダイキンは、その答えを創業以来一貫して「人」に求めてきた。

100周年に掲げられた新しいグループスローガン「Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する」[4]は、その揺るぎない信念を改めて世界に発信するものだ。どんなに優れた技術や戦略も、それを生み出し、実行するのは「人」である。従業員一人ひとりが持つ無限の可能性を信じ、その情熱と創造性を最大限に引き出すことこそが、経営の最も重要な役割であるとダイキンは考える。

この「人を基軸におく経営」は、抽象的な理念にとどまらない。それは、年功序列や学歴にとらわれず、意欲と実力のある若手を抜擢する人事制度、失敗を恐れずに挑戦を奨励する組織風土、そして従業員の成長を支援する手厚い教育・研修プログラムといった具体的な施策に落とし込まれている。

世界170カ国以上、9.6万人超[1]の多様なバックグラウンドを持つ従業員を抱えるグローバル企業となった今、この哲学をいかにして維持・進化させていくかは、ダイキンにとって最大の挑戦の一つだ。Goodmanの買収[10]で培った異文化マネジメントの経験を活かし、世界中の従業員が国籍や文化の壁を越えて協働し、新たな価値を共創できるプラットフォームを構築すること。それが、次の100年の成長を左右する鍵となる。

ダイキンが切り拓こうとしているのは、持続可能で豊かな未来だ。それは、地球環境と調和しながら、世界中の人々が健康で、安心して、そして創造的に生きていける社会である。その未来を実現するために、彼らは「空気」という、生命にとって最も根源的で、しかしこれまであまりにも当たり前とされてきた領域に、科学と情熱の光を当てようとしている。

結論、空気の会社から、可能性の会社へ

ダイキン工業の100年の物語は、絶え間ない自己変革の歴史である。大阪の町工場は、フロンというコア技術を手に入れ化学メーカーへ、そしてエアコン開発を機に空調メーカーへと姿を変えた。VRVという革命的製品で世界市場のルールメーカーとなり、大胆なM&AによってグローバルNo.1の座に就いた。そして今、彼らは自らを「空気の価値を創造する会社」として再定義し、次の100年へと歩みを進めようとしている。

この長い旅路を貫いてきたのは、二つの揺るぎない柱だ。一つは、「他社の真似をしない」という強烈な自負に支えられた、技術への飽くなき探求心。もう一つは、企業の成長の原動力は従業員一人ひとりの情熱と能力にあるとする、「人を基軸におく経営」という哲学である。

この二つの柱が交差する点に、ダイキンの本質がある。彼らは、技術をそれ自体として追求するのではない。常に「人」の課題、社会の課題を起点とし、その解決策として技術を磨き上げてきた。欧州のビルの課題からVRVが生まれたように。地球温暖化という課題からR-32の特許開放が生まれたように。

現代において、企業はかつてないほど複雑な課題に直面している。経済的成長と環境保全の両立、グローバル化とローカルな価値観の尊重、イノベーションの加速と組織文化の維持。これらのトレードオフを乗り越えるための万能薬は存在しない。しかし、ダイキンの歩みは、一つの重要な示唆を与えてくれる。それは、自社の事業が内包する「矛盾」から目を背けず、それを乗り越えること自体を企業の存在意義(パーパス)として掲げ、技術と人の力で解決に挑むこと。そのプロセスの中にこそ、持続的な成長の機会が眠っているということだ。

ダイキンが提供してきたものは、時代と共に形を変えてきた。それはラジエーターチューブであり、フロンガスであり、エアコンであり、VRVシステムだった。しかし、その根底にある価値は一貫していた。それは、人々がより良く生きるための「可能性」である。熱から機械を守る可能性。食品を安全に保存する可能性。暑さや寒さから解放され、快適に過ごす可能性。そしてこれからは、健康で、創造的に生きる可能性。

100年の時を経て、ダイキンは「空気の会社」から、人々と社会の「可能性を解き放つ会社」へと進化しようとしている。彼らがこれから描く未来の空気は、私たちの生き方そのものを、より豊かに変えていくのかもしれない。その挑戦は、まだ始まったばかりである。

出典(14件)
  1. 1972年、ベルギーにダイキンヨーロッパ社を設立。日本の空調メーカーとして初めて欧州に拠点を構え、現在では170カ国以上で事業展開、従業員9.6万人超のグローバル企業へと成長した。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  2. 2024年5月、創業100周年記念式典を大阪・ザ・シンフォニーホールで開催し2,000名が参加。同時にグループ経営理念を22年ぶりに刷新し、次の100年に向けた企業としての存在意義を再定義した。(グループ経営理念 | ダイキン工業株式会社)
  3. 1924年、山田晁が大阪に合資会社大阪金属工業所を創立。飛行機用ラジエーターチューブの製造からスタートし、従業員わずか15名の町工場から世界的空調メーカーへの歴史が始まった。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  4. 2024年の創業100周年を機に制定されたグループスローガン「Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する」。人を基軸にした経営の伝統を受け継ぎつつ、グローバルな未来志向を表現している。(グループ経営理念 | ダイキン工業株式会社)
  5. ダイキングループのありたい姿:「世界中の人に快適と安心を提供し続けること、それが、ダイキンの使命であり責任です。人が持つ無限の可能性を信じ、情熱を結集して、新たな技術を生み出し、持続可能で豊かな未来をダイキンは切り拓いていきます。」(グループ経営理念 | ダイキン工業株式会社)
  6. 1935年、日本で初めてフルオロカーボンガス(フロン)の生産に成功。この技術が後のエアコン事業とフッ素化学事業の両方の礎となり、ダイキンの技術力の原点となった。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  7. 1951年、日本初のパッケージ形エアコンを開発し空調事業に本格参入。冷媒技術の蓄積を活かした独自のダイレクト・エクスパンション方式で、空調業界に革新をもたらした。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  8. 1963年、大阪金属工業からダイキン工業に社名変更。フッ素化学製品やエアコン事業の拡大に伴い、金属工業の枠を超えた総合メーカーとしてのアイデンティティを確立した。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  9. 1982年、世界初のビル用マルチエアコン(VRV)を発売。1台の室外機で複数の室内機を個別制御する画期的なシステムで、ビル空調の概念を一変させ、グローバルスタンダードとなった。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  10. 2012年、米国Goodman Global社を約37億ドルで買収。北米市場への本格参入を果たし、空調の世界シェアNo.1の地位を確立。グローバル経営における最大の転換点となった。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  11. 「空気」と「環境」の新しい価値を創造することをブランドの根幹に据える。空調の普及に伴うエネルギー消費増大と気候変動への影響を認識し、環境負荷を減らしながら人や空間の健康・快適を実現する社会を目指す。(ダイキンのビジョン | ダイキン工業株式会社)
  12. 2012年、世界で初めてR-32冷媒を使用したエアコンを市場投入。従来のR-410Aと比べ地球温暖化係数が約3分の1のR-32の特許を無償開放し、業界全体の環境負荷低減を主導した。(沿革 | ダイキン工業株式会社)
  13. 「環境ビジョン2050」として温室効果ガス排出実質ゼロを目標に掲げる。空調メーカーとして世界の猛暑による健康課題とエネルギー消費増大の課題解決を最重要使命と位置づけている。(代表取締役会長兼CEOメッセージ | ダイキン工業株式会社)
  14. 戦略経営計画「FUSION25」で売上高3.6兆円・営業利益率12%を目標に設定。カーボンニュートラル、顧客つながりソリューション、空気価値創造の3テーマを成長戦略の柱に据える。(ダイキンのビジョン | ダイキン工業株式会社)

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コンテキスト年度出典
1972年、ベルギーにダイキンヨーロッパ社を設立。日本の空調メーカーとして初めて欧州に拠点を構え、現在では170カ国以上で事業展開、従業員9.6万人超のグローバル企業へと成長した。
2024年
1972年欧州進出・現在170カ国以上で展開
沿革 | ダイキン工業株式会社
2024年5月、創業100周年記念式典を大阪・ザ・シンフォニーホールで開催し2,000名が参加。同時にグループ経営理念を22年ぶりに刷新し、次の100年に向けた企業としての存在意義を再定義した。
2024年
創業100周年で経営理念を刷新(2024年)
グループ経営理念 | ダイキン工業株式会社
1924年、山田晁が大阪に合資会社大阪金属工業所を創立。飛行機用ラジエーターチューブの製造からスタートし、従業員わずか15名の町工場から世界的空調メーカーへの歴史が始まった。
1924年
1924年創業・飛行機用ラジエーター製造
沿革 | ダイキン工業株式会社
2024年の創業100周年を機に制定されたグループスローガン「Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する」。人を基軸にした経営の伝統を受け継ぎつつ、グローバルな未来志向を表現している。
2024年
Together, We Brighten the Future 人の力で、豊かな未来を追求する
グループ経営理念 | ダイキン工業株式会社
ダイキングループのありたい姿:「世界中の人に快適と安心を提供し続けること、それが、ダイキンの使命であり責任です。人が持つ無限の可能性を信じ、情熱を結集して、新たな技術を生み出し、持続可能で豊かな未来をダイキンは切り拓いていきます。」
2024年
世界中の人に快適と安心を提供し続ける
グループ経営理念 | ダイキン工業株式会社
1935年、日本で初めてフルオロカーボンガス(フロン)の生産に成功。この技術が後のエアコン事業とフッ素化学事業の両方の礎となり、ダイキンの技術力の原点となった。
1935年
1935年・日本初のフロン生産成功
沿革 | ダイキン工業株式会社
1951年、日本初のパッケージ形エアコンを開発し空調事業に本格参入。冷媒技術の蓄積を活かした独自のダイレクト・エクスパンション方式で、空調業界に革新をもたらした。
1951年
1951年・日本初パッケージ形エアコン開発
沿革 | ダイキン工業株式会社
1963年、大阪金属工業からダイキン工業に社名変更。フッ素化学製品やエアコン事業の拡大に伴い、金属工業の枠を超えた総合メーカーとしてのアイデンティティを確立した。
1963年
1963年・ダイキン工業に社名変更
沿革 | ダイキン工業株式会社
1982年、世界初のビル用マルチエアコン(VRV)を発売。1台の室外機で複数の室内機を個別制御する画期的なシステムで、ビル空調の概念を一変させ、グローバルスタンダードとなった。
1982年
1982年・世界初VRV(ビル用マルチ)発売
沿革 | ダイキン工業株式会社
2012年、米国Goodman Global社を約37億ドルで買収。北米市場への本格参入を果たし、空調の世界シェアNo.1の地位を確立。グローバル経営における最大の転換点となった。
2012年
2012年・Goodman社買収(約37億ドル)
沿革 | ダイキン工業株式会社
「空気」と「環境」の新しい価値を創造することをブランドの根幹に据える。空調の普及に伴うエネルギー消費増大と気候変動への影響を認識し、環境負荷を減らしながら人や空間の健康・快適を実現する社会を目指す。
2024年
空気と環境の価値創造がブランドの根幹
ダイキンのビジョン | ダイキン工業株式会社
2012年、世界で初めてR-32冷媒を使用したエアコンを市場投入。従来のR-410Aと比べ地球温暖化係数が約3分の1のR-32の特許を無償開放し、業界全体の環境負荷低減を主導した。
2024年
世界初R-32冷媒エアコン・特許無償開放
沿革 | ダイキン工業株式会社
「環境ビジョン2050」として温室効果ガス排出実質ゼロを目標に掲げる。空調メーカーとして世界の猛暑による健康課題とエネルギー消費増大の課題解決を最重要使命と位置づけている。
2024年
2050年温室効果ガス排出実質ゼロ目標
代表取締役会長兼CEOメッセージ | ダイキン工業株式会社
戦略経営計画「FUSION25」で売上高3.6兆円・営業利益率12%を目標に設定。カーボンニュートラル、顧客つながりソリューション、空気価値創造の3テーマを成長戦略の柱に据える。
2024年
FUSION25:売上3.6兆円・営業利益率12%目標
ダイキンのビジョン | ダイキン工業株式会社

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