Key Metrics at a Glance
企業の羅針盤としての「社会善」、MSCI最高評価AAAが示すもの
エーザイの企業経営を読み解く上で最も重要な発見は、その事業活動が「社会善の実現」という明確な目的に向かって、極めて合理的に設計されている点にある。2025年度には、MSCI ESG格付けで製薬業界のトップ企業のみが許される最高評価「AAA」を獲得1。これは前年度の「AA」からの格上げであり2、同社のESG経営が新たなステージに進んだことを示唆している。
この評価の根底にあるのが、単なる環境対策や社会貢献活動の積み上げではない、事業と一体化した社会的インパクト創出の仕組みである。その象徴が、グローバルヘルス領域におけるリンパ系フィラリア症(LF)治療薬「DEC錠」の無償提供だ。エーザイは2025年度、この活動がもたらす社会的インパクトを5,200億円と試算している3。これは直接的な売上にはならないが、「医療較差の是正」4という理念を具現化し、非財務価値を高める戦略的な投資と位置づけられる。
同様に、アルツハイマー病治療薬「レケンビ®」の米国における社会的インパクトは800億円と算出されており5、これもまた「健康憂慮の解消」4というミッションの達成度を示す指標となる。これらの数字は、エーザイが利益追求と社会課題解決を二項対立ではなく、相互に強化し合う関係として捉え、経営の根幹に据えていることの力強い証左と言えるだろう。
hhcからhhcecoへ ー 理念を社会実装するエコシステム戦略
エーザイの企業活動の原点には、一貫して「ヒューマン・ヘルスケア(hhc)」という企業理念が存在する6。これは「患者様と生活者の皆様の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献する」6という思想であり、単なるスローガンではなく、定款にも明記され7、全社員の行動規範となっている。
近年、エーザイはこのhhc理念をさらに進化させ、「hhceco(エイチエイチシーエコ)」という新たなビジョンを掲げている8。これは、hhc理念と、多様なパートナーと連携して価値を共創する「エコシステム」を組み合わせた概念だ9。この進化の背景には、認知症やがんといった複雑な疾患が、もはや一企業の創薬努力だけで解決できる問題ではないという深い認識がある。
具体的には、認知症領域において、治療薬の提供に留まらず、診断技術を持つ企業、介護サービス、行政、金融機関などと連携し、当事者とその家族が「自分らしい人生を『生ききる』ことのできる社会」10の実現を目指している。エーザイ自らを、このエコシステムの「プロデューサー」と位置づけている点11は注目に値する。これは、自社の役割を「薬を創る会社」から「社会課題解決のプラットフォームを構築する会社」へと再定義する、野心的な試みである。このhhceco戦略こそが、理念を具体的な社会価値へと転換し、持続的な成長を担保するためのエンジンとなっている。
8,000億円の売上予測を牽引する「理念ドリブン」の製品開発
エーザイの2025年度の連結売上収益予測は8,000億円に達する12。2023年度の7,120億円(見通し)13、2024年度の7,894億円14からの着実な成長軌道を支えているのは、hhc理念に基づき開発された革新的な製品群だ。特に、アルツハイマー病治療薬「レケンビ®」は、同社の成長を象徴する存在と言える。
この新薬は、長年有効な治療法がなかった領域に光を当て、「認知症領域における社会善の実現」15というマテリアリティ(重要課題)に正面から応えるものだ。米国での社会的インパクトが年間800億円と試算されていることからも5、その価値の大きさがうかがえる。この成功は、目先の利益ではなく、アンメット・メディカル・ニーズ(未だ満たされていない医療ニーズ)という困難な課題に挑み続ける企業文化の賜物である。
一方で、エーザイの理念経営は、直接的な収益が見込めない領域にも向けられる。前述のリンパ系フィラリア症治療薬「DEC錠」の無償提供は、その最たる例だ。この取り組みは「医療較差の是正」16という使命感に基づき、制圧達成まで継続される17。年間5,200億円と試算される社会的インパクト18は、財務諸表には現れない巨大な「非財務資本」を形成する。この非財務資本こそが、MSCIのAAA評価1に象徴されるように、企業のレピュテーションを高め、優秀な人材を惹きつけ、最終的に長期的な株主価値の最大化19に繋がるという好循環を生み出している。
女性管理職比率15%目標、人的資本経営が拓くイノベーションの土壌
エーザイは、hhc理念の実現と持続的なイノベーション創出の源泉は「人」であると明確に位置づけている。2024年度には「社員一人ひとりのエナジーを解き放ち、組織のシナジーを生み出し、社会的インパクトの最大化に貢献する」というグローバルHRパーパスを策定20。これは、多様な人材の活躍こそが企業価値増大の鍵であるという強い意志の表れだ。
その試金石となるのが、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の推進である。特に、女性活躍推進は重要な経営課題として認識されている。国内の女性管理職比率は2024年度時点で12%21だが、2025年度には15%という挑戦的な目標を掲げている22。この3ポイントの上昇は、単なる数値目標ではなく、意思決定層の多様性を確保し、組織の創造性を高めるための戦略的布石である。
さらに、エーザイは「E-HCI(エーザイ・ヒューマン・キャピタル・インデックス)」という独自の指標を用いて、人的資本の価値を可視化し、その向上を目指している23。これは、hhc理念の浸透度24や働きがいといった非財務的な要素を定量的に把握し、経営に活かそうとする先進的な取り組みだ。約11,000人のグローバル従業員25一人ひとりが持つ潜在能力を最大限に引き出すことこそが、次なる革新的新薬を生み出すための不可欠な土壌であると、同社は確信している。
年間5,200億円のインパクト、DEC錠無償提供が築く非財務資本
エーザイのブランド価値と社会的評価を最も端的に物語るのが、グローバルヘルス領域におけるコミットメントの深さである。同社は、顧みられない熱帯病(NTDs)の一つであるリンパ系フィラリア症(LF)の制圧に向け、WHO(世界保健機関)を通じて治療薬「DEC錠」を無償で提供し続けている17。
この活動の特筆すべき点は、その規模と継続性、そして社会的インパクトの可視化にある。2025年度の目標として掲げられた5,200億円という社会的インパクト3は、単なる慈善活動の成果報告ではない。これは、「財務資本」と「非財務資本」の両輪で企業価値を最大化する19という経営戦略そのものである。この揺るぎない姿勢が、投資家や社会からの信頼を勝ち取り、MSCI ESG格付け「AAA」1や、CDP気候変動「Aリスト」評価26といった最高レベルの外部評価に結実している。
一方で、環境側面では課題も残る。事業拡大に伴い、サプライチェーンにおける温室効果ガス排出量(Scope3 カテゴリー1)は80.9%増加しており27、今後の対策が求められる。しかし、再生可能エネルギー導入率98.7%(外部購入電力)28を達成するなど、自社拠点での脱炭素化は着実に進んでいる。今後は、hhcecoの思想をサプライヤーにも展開し、バリューチェーン全体でのサステナビリティを追求していくことが期待される。
経年変化の読み解き ー 2023年から2025年への軌跡
| 指標 | 2023年 | 2024年 | 2025年 | 分析 |
|---|---|---|---|---|
| 売上収益 | 7,120億円 (見通し)13 | 7,894億円14 | 8,000億円 (予測)12 | 着実な成長: 認知症治療薬「レケンビ®」の市場浸透を主因に、安定したトップラインの成長が続いている。理念に基づく研究開発投資が、着実に財務成果として結実していることを示す。 |
| MSCI ESG格付け | - | AA2 | AAA1 | ESG経営の深化: 1年間で最高評価へと格上げされたことは、hhc理念を核とした社会課題解決型ビジネスモデルが、グローバルな投資基準で高く評価されたことを意味する。特に非財務価値の創出が顕著である。 |
| 女性管理職比率(国内) | - | 12%21 | 15% (目標)22 | D&Iの加速: 1年間で3ポイント引き上げるという高い目標設定は、経営層の強いコミットメントを示唆する。イノベーション創出に不可欠な多様性の確保に向けた取り組みが本格化している。 |
「社会善の実現」は、最も合理的な成長戦略である
強み:理念と事業の一貫性から生まれる非財務価値
エーザイの最大の強みは、hhc理念6を起点とした経営の圧倒的な一貫性にある。理念が事業戦略、研究開発、人事制度、そして財務戦略に至るまで浸透しており、「社会善の実現」29が絵空事ではなく、具体的なKPIと事業活動に落とし込まれている。年間5,200億円という社会的インパクトの定量化3や、MSCIのAAA評価1は、この理念経営が極めて有効な非財務資本構築の手法であることを証明している。
課題:ダイバーシティとサプライチェーンの進化
輝かしい成果の一方で、課題も存在する。一つは、人的資本におけるダイバーシティのさらなる推進だ。女性管理職比率15%の目標22達成は、次なる成長に向けた重要なマイルストーンとなる。グローバルで多様な患者のニーズに応えるためには、組織内部の多様性確保が不可欠である。もう一つは、環境負荷への対応、特にサプライチェーン全体での排出量削減だ。Scope3排出量の増加27は、事業成長と環境負荷のデカップリングという、製造業共通の難題に直面していることを示している。
今後の注目ポイント
今後のエーザイを評価する上で注目すべきは、hhceco8という壮大なビジョンが、いかに具体的な事業モデルとして社会に実装されるかである。特に、認知症エコシステムの構築は、製薬企業の枠組みを超える挑戦であり、その成否はヘルスケア産業の未来を占う試金石となるだろう。「レケンビ®」のグローバルな普及とともに、このエコシステムがもたらす社会的・経済的価値の総量が、エーザイの真の企業価値を決定づけることになる。同社が証明しようとしている「社会善の実現こそが、最も合理的かつ持続可能な成長戦略である」という命題の行方を、引き続き注視したい。
出典
- Eisai Value Creation Report, p.74, 「主な外部評価」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report 2024, p.86, 「主な外部評価」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.58, 「図表2 DEC錠無償提供の社会的インパクト目標値(2025年度、2030年度)」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.18, 「エーザイの未来創造戦略」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.54, 「社会的インパクト創出目標」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.6, 「価値創造ストーリー」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.9, 「CEOメッセージ」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.4, 「生ききるを支える」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.68, 「企業価値を支えるための取り組み」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.29, 「認知症エコシステム構築に向けた取り組み」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report 2024, p.30, 「認知症領域の価値創造ストーリー」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.59, 「製品インパクト包括売上収益」, (2025年度)
- エーザイ株式会社 Eisai Value Creation Report 2023, p.46, 「財務指標」, (2023年度)
- Eisai Value Creation Report, p.16, 「財務ハイライト」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.23, 「重要マテリアリティ 長期目標・KPI・リスク」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.4, 「使命と結果の順序」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report 2024, p.48, 「DEC錠無償提供による社会的インパクト創出目標」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.54, 「社会的インパクト創出目標」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.52, 「財務戦略」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report 2024, p.50, 「グローバルHRパーパス」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report 2024, p.9, 「CEOメッセージ」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.25, 「2025年度目標とKPI」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.48, 「エーザイの人的資本経営モデル」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.25, 「2025年度目標とKPI」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.75, 「エーザイのグローバル展開」, (2025年度)
- Eisai Value Creation Report, p.74, 「主な外部評価」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.17, 「非財務ハイライト」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.70, 「主な取り組み」, (2024年度)
- Eisai Value Creation Report, p.21, 「マテリアリティの特定」, (2024年度)
使用データ一覧
| コンテキスト | 年度 | 値 | 出典 |
|---|---|---|---|
エーザイのhhc理念に基づく使命 「エーザイの未来創造戦略」 | 2025年 | 「健康憂慮の解消」と「医療較差の正」 なし | Eisai Value Creation Report p.18 |
エーザイの企業理念・めざす企業像 「価値創造ストーリー」 | 2025年 | 1%の時間から世界を変える | Eisai Value Creation Report p.6 |
定款に定めるhhc理念の実現と実践 「CEOメッセージ」 | 2025年 | hhc理念 なし | Eisai Value Creation Report p.9 |
エコシステムモデル「hhceco」への進化 「生ききるを支える」 | 2025年 | hhceco企業 | Eisai Value Creation Report p.4 |
社会善を効率的に実現するための理念 「企業価値を支えるための取り組み」 | 2025年 | hhceco (hhc理念 + エコシステム) | Eisai Value Creation Report p.68 |
認知症領域における企業ビジョン 「認知症エコシステム構築に向けた取り組み」 | 2025年 | 誰もが自分らしい人生を「生ききる」ことのできる社会の実現 なし | Eisai Value Creation Report p.29 |
認知症領域における最終目標 「認知症領域の価値創造ストーリー」 | 2024年 | 認知症エコシステムを構築し、そのプロデューサーの役割を果たす なし | Eisai Value Creation Report 2024 p.30 |
重要マテリアリティ1:認知症領域における社会善の実現 「重要マテリアリティ 長期目標・KPI・リスク」 | 2025年 | 認知症領域における社会善の実現 | Eisai Value Creation Report p.23 |
社会善の実現に向けた使命 「使命と結果の順序」 | 2025年 | 健康憂慮の解消と医療較差の是正 | Eisai Value Creation Report p.4 |
リンパ系フィラリア症(LF)制圧へのコミットメント 「DEC錠無償提供による社会的インパクト創出目標」 | 2024年 | リンパ系フィラリア症(LF)の制圧に向け、世界保健機関(WHO)などと共に LF 蔓延国に対して DEC 錠を制圧達成まで提供し続ける | Eisai Value Creation Report 2024 p.48 |
財務戦略の基本方針 「財務戦略」 | 2025年 | 持続的な株主価値の最大化 なし | Eisai Value Creation Report p.52 |
グローバルHRパーパス 「グローバルHRパーパス」 | 2024年 | 社員一人ひとりのエナジーを解き放ち、組織のシナジーを生み出し、社会的インパクトを最大化する なし | Eisai Value Creation Report 2024 p.50 |
企業理念に基づくマテリアリティの方向性 「マテリアリティの特定」 | 2024年 | 社会善を効率的に実現する なし | Eisai Value Creation Report p.21 |
| コンテキスト | 年度 | 値 | 出典 |
|---|---|---|---|
MSCI ESG格付け(2025年7月現在) 「主な外部評価」 | 2025年 | AAA ランク | Eisai Value Creation Report p.74 |
MSCI ESG格付け (2024年7月現在) 「主な外部評価」 | 2024年 | AA | Eisai Value Creation Report 2024 p.86 |
2025年度 DEC錠無償提供の社会的インパクト目標 「図表2 DEC錠無償提供の社会的インパクト目標値(2025年度、2030年度)」 | 2025年 | 5,200 億円 | Eisai Value Creation Report p.58 |
認知症領域の社会的インパクト(レケンビ®、米国) 「社会的インパクト創出目標」 | 2025年 | 800 億円 | Eisai Value Creation Report p.54 |
グローバルヘルス領域の社会的インパクト(DEC錠) 「社会的インパクト創出目標」 | 2025年 | 5,200 億円 | Eisai Value Creation Report p.54 |
CDP 気候変動 2024 「主な外部評価」 | 2024年 | A List ランク | Eisai Value Creation Report p.74 |
温室効果ガス排出量 Scope 3 カテゴリー1 増加率 「非財務ハイライト」 | 2024年 | 80.9 % | Eisai Value Creation Report p.17 |
再生可能エネルギー導入率(外部購入電力) 「主な取り組み」 | 2024年 | 98.7 % | Eisai Value Creation Report p.70 |
| コンテキスト | 年度 | 値 | 出典 |
|---|---|---|---|
国内の女性管理職比率(現在) 「CEOメッセージ」 | 2024年 | 12 % | Eisai Value Creation Report 2024 p.9 |
2025年度目標:多様性確保に向けた女性活躍の推進 「2025年度目標とKPI」 | 2025年 | 15 % | Eisai Value Creation Report p.25 |
E-HCI(エーザイ・ヒューマン・キャピタル・インデックス)の目標 「エーザイの人的資本経営モデル」 | 2025年 | スコアの向上 なし | Eisai Value Creation Report p.48 |
2025年度目標:hhc理念の浸透(企業理念浸透度) 「2025年度目標とKPI」 | 2025年 | 100 % | Eisai Value Creation Report p.25 |
グローバル従業員数(2025年3月時点) 「エーザイのグローバル展開」 | 2025年 | 10,917 人 | Eisai Value Creation Report p.75 |
| コンテキスト | 年度 | 値 | 出典 |
|---|---|---|---|
2025年度 連結売上収益予測 「製品インパクト包括売上収益」 | 2025年 | 8,000 億円 | Eisai Value Creation Report p.59 |
2023年度 売上収益(見通し) 「財務指標」 | 2023年 | 7,120 億円 | エーザイ株式会社 Eisai Value Creation Report 2023 p.46 |
2024年度 連結売上収益の実績 「財務ハイライト」 | 2024年 | 7,894 億円 | Eisai Value Creation Report p.16 |
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